概要

 宮本三郎(1905-1974)は、石川県小松市松崎町出身の画家です。1980年に、生誕地の松崎町に宮本三郎記念美術館が設立されました。1998年にはご遺族から小松市に油彩画60点を含む約100点が寄贈され、2000年には小松市立宮本三郎美術館が開館しました。これに伴い、記念美術館も宮本三郎ふるさと館としてリニューアルオープンし、現在に至ります。これら2つの美術館では、宮本三郎の画業とその魅力をさまざまな視点から紹介しています。

 また、宮本三郎は優れた素描家としても知られており、その功績をたたえ、「デッサン」をテーマにしたコンクール「宮本三郎記念デッサン大賞展」を隔年で開催しています。

宮本三郎美術館
宮本三郎ふるさと館

宮本三郎について

宮本三郎は、1905年5月23日、現在の石川県小松市松崎町に生まれ、1935年より東京都世田谷区奥沢のアトリエを拠点に活動した昭和を代表する洋画家です。

川端画学校で富永勝重、藤島武二、また個人的には安井曾太郎に指導を受け、戦前は二科展を中心に発表を行いながら、雑誌の挿絵や表紙絵の制作でも活躍。戦時中は従軍画家として藤田嗣治、小磯良平らとともにマレー半島、タイ、シンガポールなどに渡り、第2回帝国芸術院賞受賞作品《山下、パーシバル両司令官会見図》(1942年)をはじめ、数々の戦争記録画を制作しました。

戦後は、熊谷守一、田村考之介、正宗得三郎らと第二紀会を設立。生来の素描力を土台に、さまざまに画風を変えながらも、人物を主たるテーマとして制作、晩年は花と裸婦を主題にした豪華絢爛な絵画世界を構築します。獅子文六の小説「大番」の挿絵や、雑誌表紙のため高峰秀子や雪村いづみなど女優や歌手を描いたことでも人気を博しました。

1974年10月13日、69歳で他界。生涯、画家として活躍するだけではなく、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)、多摩美術大学でも教鞭をとり、二紀会では理事長にも就任するなど、後進の育成にも尽力しました。

本日開館9:00〜17:00